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瀬をはやみ岩にせかるる滝川の

崇徳院 百人一首 恋の歌 序詞
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「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ」は、崇徳院(すとくいん)が詠んだ百人一首の第七十七番の歌です。急流が岩にぶつかって二つに分かれてもまた一つになるように、離れていてもいつか必ず逢おうという強い恋心を詠んだ歌です。

原文と現代語訳

原文

瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ

読み方

せをはやみ いはにせかるる たきがはの われてもすゑに あはむとぞおもふ

現代語訳

川の瀬の流れが速いので、岩にせき止められて二つに分かれる急流のように、今は離れ離れになっていても、いつかきっとまた逢おうと思っている。

歌の構造と技法

序詞の技法

この歌の上の句「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の」は全体が序詞(じょことば)になっています。序詞とは、下の句の言葉を導き出すための比喩的な表現です。

上の句では急流が岩にぶつかって分かれる様子を描き、それが下の句の「われても」(別れても)を導いています。「われ」は「割れる」と「別れる」の掛詞にもなっており、自然の景観と恋の感情が巧みに重ねられています。

「末に逢はむ」の力強さ

「末に逢はむとぞ思ふ」(いつか必ず逢おうと思う)という結びの言葉には、強い意志と確信が込められています。「ぞ」は強調の係助詞で、「思ふ」にかかる係り結びを形成しています。たとえ今は離れていても、いつか必ず再会するという揺るぎない決意が表現されています。

水の比喩の効果

川の流れが岩にぶつかって二つに分かれても、下流でまた一つになるという自然現象を恋の比喩に用いることで、再会が自然の摂理のように必然的なものであるという印象を与えています。人為的な意志だけでなく、自然の力に支えられた約束のような力強さがこの歌の魅力です。

作者・崇徳院について

崇徳院は第七十五代天皇です。鳥羽天皇の第一皇子として即位しましたが、鳥羽上皇との関係は複雑で、やがて保元の乱(1156年)に至ります。

保元の乱で後白河天皇方に敗れた崇徳院は讃岐(現在の香川県)に流されました。配流先で仏教の写経に励みましたが、その写経を朝廷に送り返されたことに激しく怒り、「日本国の大魔縁となって皇を取って民とし、民を皇となさん」と誓ったと伝えられています。讃岐で崩御した後、さまざまな怪異が起こったことから怨霊として恐れられ、後に白峯神宮に祀られました。

この歌が恋の歌でありながら、離別と再会という主題を含んでいることから、崇徳院の悲劇的な人生と重ねて読まれることも少なくありません。

落語「崇徳院」

この歌を題材にした落語「崇徳院」も広く知られています。若旦那が恋煩いで寝込んでしまい、出入りの熊五郎が相手の女性を探しに行くという筋書きです。手がかりは「瀬をはやみ」の歌の上の句だけで、下の句を知る人を町中探し回るという展開になります。この落語は百人一首が庶民の間にも浸透していたことを示す作品です。

関連する歌

百人一首には水の流れを恋に喩えた歌がいくつかあります。在原業平の「千早ふる神代もきかず竜田川」(第十七番)は川の紅葉を詠み、崇徳院の歌とは異なる趣を持っています。

また崇徳院は他にも多くの歌を残しており、「百人一首」の選者・藤原定家が崇徳院の歌を選んだことには、定家の崇徳院に対する敬意が込められていると考えられています。

百人一首かるたでの扱い

この歌の決まり字は「せ」の一字です。「せ」で始まる歌は百人一首にこの一首だけなので、「せ」と聞いた瞬間にこの歌だと判断できます。一字決まりの歌は百人一首に七首あり、競技かるたでは最も反応速度が問われる札です。

まとめ

「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の」は、急流の力強いイメージと恋の情熱を重ね合わせた名歌です。序詞と掛詞を駆使した技巧的な歌でありながら、離れていても必ず逢うという純粋な決意が胸を打ちます。崇徳院の波乱に満ちた生涯と重ね合わせて読むと、この歌はさらに深い味わいを持つことでしょう。

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