城めぐり帖 城めぐり帖

城の築城プロセス|縄張り・普請・作事の流れを解説

築城 縄張り 普請 作事 城の知識
広告スペース (article-top)

城はどのようにして造られたのでしょうか。築城のプロセスは、大きく「縄張り」「普請」「作事」の三段階に分けられます。地形の選定から設計、土木工事、建物の建築まで、築城には膨大な労力と高度な技術が必要でした。この記事では、城が完成するまでの一連の流れを解説し、築城技術の奥深さに迫ります。

築城の前段階:立地の選定

城を築くにあたって、まず行われるのが立地の選定です。立地は城の防御力と利便性を大きく左右するため、慎重に検討されました。

軍事的な条件

戦国時代の城では、軍事的な防御力が最優先されました。山城であれば急峻な地形、平城であれば河川や湿地帯など、自然の地形を防御に活かせる場所が選ばれました。また、周囲を見渡せる眺望の良さも重要な条件でした。

政治・経済的な条件

江戸時代に入ると、城は政治の中心地としての機能が重視されるようになりました。交通の要衝であること、城下町を形成できる広い平地があること、水運や街道へのアクセスが良いことなどが重要な条件となりました。

水利の条件

城の維持には大量の水が必要です。飲料水や生活用水の確保はもちろん、水堀に水を供給するためにも、安定した水源の確保は築城の必須条件でした。井戸を掘って地下水を利用する場合もあれば、河川の水を引き込む場合もありました。

縄張り:城の設計

縄張り(なわばり)とは、城の全体設計を指す用語です。実際に縄を張って曲輪や堀の配置を決めたことから、この名称がつきました。

縄張りの基本要素

縄張りでは、本丸、二の丸、三の丸などの曲輪の配置、堀の位置と形状、門の場所、通路の動線などが決定されます。縄張りは城の防御力を根本的に規定するため、築城の全工程のなかで最も重要な段階とされました。縄張りを担当した技術者は「縄張り師」と呼ばれ、高い評価を受けていました。

縄張りの類型

縄張りの基本的な類型として、輪郭式、梯郭式、連郭式、渦郭式などがあります。輪郭式は本丸を二の丸が取り囲み、さらにその外を三の丸が囲む同心円状の配置です。大阪城や松本城がこの形式です。梯郭式は本丸の片側に曲輪を配置する形式で、姫路城が代表例です。連郭式は曲輪を一列に並べる形式で、水戸城などに見られます。

地形を読む技術

優れた縄張り師は、地形を巧みに読み取って城の設計に活かしました。尾根筋や谷筋を利用して曲輪を配置し、自然の傾斜を切岸として活用するなど、地形そのものを防御施設として取り込む技術は、日本の築城術の大きな特徴です。藤堂高虎や加藤清正は、築城の名手として名を残しています。

普請:土木工事

縄張りが決まると、次は「普請」(ふしん)と呼ばれる土木工事に移ります。普請は築城の中で最も労力を要する工程です。

堀の掘削

普請の主な作業のひとつが堀の掘削です。大規模な城では、堀の掘削だけで数万人規模の人員が動員されました。掘り出した土は、土塁の築造に転用されるのが一般的で、掘削と築造を同時に進める合理的な方法が採られました。

石垣の築造

石垣の築造は、普請の中でも特に高度な技術を要する作業です。石材の調達、運搬、加工、積み上げの各工程に専門の技術者が必要でした。大名の城では「穴太衆」(あのうしゅう)と呼ばれる石垣築造の専門集団が雇われることもありました。穴太衆は近江国(現在の滋賀県)を拠点とする石工集団で、全国各地の築城に携わりました。

土塁の築造

土塁は、土を突き固めて築く防御施設です。堀を掘った際の土を使って築造されることが多く、堀と土塁はセットで考えられていました。土塁の表面は、崩壊を防ぐために芝や草で覆われることがありました。

天下普請

江戸時代初期には、幕府が全国の大名に命じて行う「天下普請」が実施されました。名古屋城や大阪城(徳川期)、江戸城の普請がその代表例です。各大名に石垣の担当区画が割り当てられ、大名同士が技術と財力を競い合いました。石垣に刻まれた刻印は、どの大名が担当したかを示す証拠として現在も残っています。

作事:建物の建築

普請が完了すると、「作事」(さくじ)と呼ばれる建物の建築が始まります。天守、櫓、門、御殿などの建造がこの工程に含まれます。

木材の調達

城の建築には大量の木材が必要です。天守や大規模な櫓には、長さ10メートルを超える大径木が使われることもありました。木材は領内の山林から伐採されるのが一般的ですが、大規模な城では遠方から調達することもありました。伐採した木材は河川を利用して運搬されることが多く、水運は築城において重要な役割を果たしました。

天守の建築

天守の建築は、作事の中で最も注目される工程です。巨大な柱を立て、梁を架け、階層を積み上げていく作業には、高度な木造建築技術が必要でした。天守の心柱(しんばしら)は、建物全体を貫く大黒柱で、姫路城では東西二本の大柱が地階から最上階まで通っています。

御殿の建築

城主の居住空間である御殿の建築も作事の重要な工程です。御殿は天守とは異なり、日常生活や政務に使われる建物であるため、居住性が重視されました。書院造りの様式が基本で、襖絵や欄間などの装飾が施されることもありました。

瓦と壁

城の建物の仕上げとして、瓦葺きと壁塗りが行われました。瓦は防火性に優れ、城の建築に広く用いられました。壁は土壁が基本で、白漆喰で仕上げられた白壁と、下見板張りの黒壁に大別されます。姫路城の白壁と松本城の黒壁は、それぞれの代表例です。

築城にかかった期間と人員

築城の規模によって異なりますが、大規模な城の築城には数年から十数年を要することもありました。

工期の例

名古屋城の天下普請は1610年に開始され、天守の完成は1612年、城全体の完成は1615年頃とされています。一方、姫路城の現在の姿は、池田輝政が1601年から約8年かけて築き上げたものです。戦国時代の山城であれば、数か月で急造されることもありましたが、近世の大規模な平城は膨大な時間を必要としました。

動員された人員

天下普請の場合、数万人から十数万人規模の人員が動員されました。名古屋城の普請では、延べ人員が数十万人に達したと言われています。人員の確保は大名の負担であり、築城の費用は莫大なものでした。

築城技術の変遷

築城技術は時代とともに大きく変化しました。

中世の築城

中世の山城は、自然の地形を最大限に活用する築城が主流でした。土を削り、堀を掘り、簡素な柵や土塀を設ける程度の築城であり、石垣や瓦葺きの建物はほとんど見られませんでした。

織豊期の革新

織田信長と豊臣秀吉の時代に、築城技術は劇的に進歩しました。石垣の導入、瓦葺きの天守の出現、複雑な縄張りの発展など、この時期に近世城郭の基本形が確立されたとされています。安土城はその嚆矢であり、大阪城や聚楽第がさらに発展させました。

江戸時代の完成

江戸時代に入ると、築城技術は成熟期を迎えます。切込接ぎの石垣、大規模な水堀、精巧な天守など、技術の粋を集めた城が全国各地に築かれました。しかし、1615年の一国一城令により新規の築城が制限され、やがて築城技術そのものが衰退していくことになります。

まとめ

城の築城プロセスは、立地の選定から始まり、縄張り(設計)、普請(土木工事)、作事(建物の建築)の三段階で進められました。それぞれの工程に専門の技術者が携わり、膨大な人員と資材が投入されました。城めぐりの際に、この築城プロセスを意識して城を見ると、築城者の意図や技術力をより深く理解できるようになります。

広告スペース (article-bottom)

あわせて読みたい