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戦国時代の城の進化|山城から平城への変遷を解説

戦国時代 城の歴史 山城 織田信長
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日本の城は、戦国時代のおよそ150年間で劇的な進化を遂げました。簡素な山城から始まり、石垣と天守を持つ壮大な城郭へと変貌していく過程は、日本の歴史そのものを映す鏡です。この記事では、戦国時代から江戸時代初期にかけての城の進化を時代順にたどり、築城技術がどのように発展したのかを解説します。

戦国以前の城:防御に徹した山城

戦国時代以前、日本の城の主流は「山城」でした。山の地形を活かして築かれた山城は、急峻な斜面そのものが防御壁となり、敵の侵入を阻む天然の要害でした。

鎌倉時代から南北朝時代にかけての山城は、比較的簡素な構造でした。山頂を平らにして曲輪を造り、斜面に堀切(山の尾根を横に切った堀)を掘って敵の接近を阻むという基本的な防御が中心です。石垣はほとんど使われず、土塁と空堀が主な防御施設でした。

戦国時代に入ると、山城はより精密な設計が施されるようになります。曲輪の数が増え、堀切や竪堀(斜面に縦に掘った堀)が複雑に配置されるようになりました。武田氏の躑躅ヶ崎館のような平地の居館を本拠としつつ、緊急時に備えた「詰めの城」を背後の山に築くというスタイルも一般的でした。

この時期の代表的な山城としては、観音寺城(滋賀県)、七尾城(石川県)、月山富田城(島根県)などがあります。いずれも広大な城域を持ち、複雑な曲輪配置と堀の設計で知られています。

織田信長がもたらした革新

城の歴史における最大の転換点は、織田信長による安土城の築城(1576年)です。安土城は、それまでの城の概念を根底から覆す革新的な城でした。

まず、信長は琵琶湖畔の安土山という、戦略的に重要でありながらも標高の高くない山に城を築きました。山城でありながら、交通の要衝を押さえるという実利を重視した選択です。そして、山頂に地上6階地下1階という前代未聞の壮大な天主を建設しました。

安土城の天主は、単なる軍事施設ではなく、信長の権威を示す政治的・文化的シンボルでした。内部は金箔や漆、狩野永徳の障壁画で豪華に装飾され、信長はここで外国の使節を迎え、茶会を催しました。城が「見せるもの」へと変化した画期的な転換点です。

石垣の技術も安土城で大きく進歩しました。信長は近江の穴太衆(あのうしゅう)と呼ばれる石積みの専門集団を起用し、大規模な石垣を築かせました。穴太衆の技術はその後、全国の城づくりに広まっていきます。

安土城はわずか6年で焼失しましたが、天守と石垣を持つ城という新しい形式は、その後の日本の城郭建築の標準となりました。

豊臣秀吉と城郭の巨大化

信長の革新を受け継ぎ、さらに発展させたのが豊臣秀吉です。秀吉は天下統一の過程で、城を政治的支配の道具として最大限に活用しました。

秀吉が最初に手がけた大城郭が姫路城の改築(1580年)です。三層の天守を持つ城に改修し、中国地方攻略の拠点としました。続いて築いた大坂城(1583年)は、当時としては空前の規模を誇り、高い石垣と広い堀で三重に囲まれた「天下の巨城」でした。

秀吉の城づくりで特筆すべきは、「総構え(そうがまえ)」の概念です。城本体だけでなく、城下町全体を堀と土塁で囲む防御方式で、小田原征伐の際に石垣山一夜城を築いた秀吉は、その後、自らの拠点にも総構えを採用しました。

また、秀吉は全国の大名を動員する「天下普請」という手法を確立しました。各大名が資材と労力を出し合って城を築くことで、短期間での大規模築城が可能になるとともに、大名の経済力を消耗させて反乱を抑制する効果もありました。

秀吉の時代に築かれた聚楽第、伏見城、名護屋城などは、いずれも壮大な規模を誇りましたが、現存するものはほとんどありません。しかし、秀吉が確立した城郭建築の方向性は、次の時代へと受け継がれていきました。

関ヶ原以後:城の完成形へ

1600年の関ヶ原の戦いの後、徳川家康のもとで城郭建築は最終的な完成形に達します。この時期に築かれた城は、平地または低い丘の上に築かれた「平城」や「平山城」が主流となりました。

平城が主流となった背景には、城の機能の変化があります。戦乱の時代が終わりに近づき、城は軍事拠点から藩政の中心地へと役割が変化しました。山城では行政事務や城下町の管理に不便であり、交通の便がよく広い敷地を確保できる平地に城を築くことが合理的だったのです。

この時期の築城技術は高度に洗練されました。石垣の積み方は切込接ぎの精密なものとなり、天守は層塔型の整然とした形式が主流になりました。名古屋城(1612年完成)はこの時代を代表する城で、天下普請によって築かれた壮大な石垣と層塔型天守は、城郭建築の到達点のひとつとされています。

1615年の「一国一城令」により、各藩は原則として居城以外の城を破壊することが義務づけられました。さらに「武家諸法度」によって新たな城の築城や既存の城の増築が制限され、城郭建築の時代は事実上終わりを迎えます。

城の進化を体感できるスポット

城の進化の過程を実際に体感できるスポットをご紹介します。

安土城跡(滋賀県近江八幡市)は、信長が築いた革新的な城の跡です。天主台跡に立つと、琵琶湖を見下ろす壮大な眺望が広がり、信長が描いた理想の城の姿を想像することができます。大手道の幅広い石段も見どころです。

小谷城跡(滋賀県長浜市)は、浅井氏の山城で、戦国時代の典型的な山城の構造を体験できます。急峻な山道を登り、尾根伝いに点在する曲輪を巡ると、山城の防御の実際を体感できます。

姫路城(兵庫県姫路市)は、戦国末期の防御技術と江戸時代の美意識が融合した、城の進化の到達点を示す名城です。安土城から始まった城郭建築の流れが、ここで最高の完成度に達したことを実感できるでしょう。

城めぐりでは、その城がいつの時代に、どのような目的で築かれたのかを意識すると、城の姿がより鮮明に見えてきます。山城から平城への進化の過程は、日本の歴史の大きな流れそのものを映し出しています。

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