深夜の電話|真夜中に鳴り響く着信の怖い話
これは、私の友人である田中が体験した話だ。彼は当時、都内のワンルームマンションで一人暮らしをしていた。仕事は忙しく、帰宅はいつも日付が変わってからだった。疲れ果てて眠りに落ちる毎日。そんな生活が続いていた、ある秋の夜のことだ。
最初の着信
深夜3時12分。田中は、枕元に置いていたスマートフォンの振動で目を覚ました。画面には見慣れない番号が表示されている。市外局番から始まる固定電話の番号だった。
こんな時間に誰だろう。間違い電話か、あるいは悪質な迷惑電話か。いずれにせよ、出る気にはなれなかった。田中は着信を無視し、スマートフォンを裏返して再び目を閉じた。
しかし、電話はすぐにまた鳴り出した。同じ番号だ。今度は10コール以上鳴り続けた。苛立ちを覚えた田中は、着信拒否にしてから再び布団に潜り込んだ。
それから5分後。今度は部屋の固定電話が鳴った。
田中はぎくりとした。この部屋に固定電話を引いたのは、入居時に不動産会社から勧められたからだ。しかし実際には一度も使ったことがなく、番号さえ覚えていない。友人にも職場にも教えていない。鳴るはずがないのだ。
恐る恐る受話器を取ると、ザーッという砂嵐のようなノイズが聞こえた。そしてその奥に、かすかな声が混じっていた。
「…たすけて…」
男の声だった。弱々しく、途切れ途切れに繰り返している。
「…たすけて…ここから…出して…」
田中は受話器を叩きつけるように置いた。心臓が激しく脈打っている。いたずらだ、きっと。そう自分に言い聞かせた。
声の正体
翌日、田中は電話のことが気になりながらも、普段どおりに出勤した。仕事中も頭の片隅にあの声がこびりついていた。あの声には、どこか聞き覚えがある気がしてならなかったのだ。
その夜も、深夜3時12分きっかりに固定電話が鳴った。
今度は意を決して受話器を取った。やはり同じノイズ。そして同じ声。
「…たすけて…ここから出して…」
田中は声を絞り出した。
「あなたは誰ですか」
しばらくの沈黙の後、声が答えた。
「…お前だよ…」
血の気が引いた。声の主は、確かに田中自身の声で喋っていた。録音したかのように、自分の声そのものだった。
「…明日…お前は…ここに来る…」
電話は切れた。
田中はその夜、一睡もできなかった。朝になって冷静さを取り戻すと、着信履歴を確認した。固定電話にかかってきた番号は、表示されていなかった。スマートフォンにかかってきた番号を調べてみると、それは廃止された番号だった。かつてどこに設置されていた番号なのか、それ以上の情報は見つからなかった。
三日目の夜
三日目の夜も田中は起きていた。時計が3時12分を指すのを見つめていた。
電話は鳴らなかった。
代わりに、玄関のドアがノックされた。コンコン、コンコンと、規則正しいリズムで。
田中はドアに近づき、覗き穴から外を見た。
廊下には誰もいなかった。
ノックは続いている。コンコン、コンコン。しかし覗き穴の向こうには、人影すらない。
田中がドアから離れようとした瞬間、ノックが止まった。そして、ドアの内側から声がした。
「開けなくていいよ」
自分の声だった。ドアのすぐ内側、田中のすぐ背後から聞こえた。
「もう、中にいるから」
田中は振り返った。暗い廊下の奥に、何かが立っていた。自分と同じ体格、同じ服装。しかし顔だけが真っ黒な影に覆われている。
田中は絶叫し、玄関のドアを開けて裸足のまま廊下に飛び出した。隣の部屋のインターホンを狂ったように押し、助けを求めた。
駆けつけた隣人とともに部屋に戻ると、中には誰もいなかった。窓は施錠されたまま。クローゼットの中も、ベッドの下も、どこにも誰もいない。
ただ、固定電話の受話器が外れていた。そこからは、あのザーッというノイズが微かに聞こえていた。
その後
田中はその翌日に引っ越した。荷物も最低限だけ持ち出し、固定電話の契約も解約した。
しかし奇妙なことがある。田中がその部屋を引き払った後、不動産会社が清掃業者を入れた際、押し入れの奥から古い黒電話が見つかったという。そんなものを持ち込んだ覚えは、田中にも、以前の住人にもない。
さらに不可解なのは、その黒電話の受話器を持ち上げると、電話線が繋がっていないにもかかわらず、微かなノイズが聞こえたということだ。清掃業者は気味悪がってすぐに受話器を戻した。
その後、その部屋に入居した人物もまた、深夜に電話の音で目を覚ますようになったと、田中は風の噂で聞いた。
田中は今も元気に暮らしている。ただし、電話の着信音だけは今もサイレントに設定したままだ。深夜3時12分が近づくと、自然と目が覚めてしまうことがある。そのたびに、あの声を思い出すのだという。
自分の声で「もう、中にいるから」と告げた、あの声を。
田中は最近、ふと気づいたことがあると言った。引っ越す前の最後の夜、部屋に飛び出して隣人に助けを求めたとき、覗き穴からは廊下に誰もいないように見えた。
しかし、思い返してみると、覗き穴の向こうに映っていた廊下の照明は消えていたはずだ。彼のマンションの廊下は、人感センサーで照明がつく仕組みになっている。つまり、ドアの外に本当に誰もいなかったのなら、照明は消えていて当然だ。
だが、ノックの音は確かに外側から聞こえていた。
ならば、あのとき廊下にいたものは、人感センサーが反応しない何かだったということになる。
田中がその話を私にしてくれたのは、居酒屋でのことだった。彼は最後にこう付け加えた。
「あの声はさ、確かに俺の声だったんだ。でも、ひとつだけ違うところがあった。あの声は、俺よりもずっと年を取っていた。まるで、何十年も先の俺が喋っているみたいだった」
私はその言葉の意味を考えて、背筋が冷たくなった。
もし、あの声が未来の田中自身だったのなら。あの「ここから出して」という言葉は、いったいどこから発せられたものなのか。
田中がいつか閉じ込められる場所が、あるということなのだろうか。
その答えは、まだ誰にもわからない。