ヨミノクチ ヨミノクチ

写真アルバム|祖母の遺品から出てきた一冊の恐怖

どんでん返し 写真 家族 怖い話
広告スペース (article-top)

祖母が亡くなったのは、93歳のときだった。大往生だった。晩年は認知症が進み、家族の顔もわからなくなっていたが、穏やかな最期だった。

葬儀の後、母と一緒に祖母の家の遺品整理を行った。古い一軒家に、何十年分もの荷物が詰まっている。作業は何日もかかった。

二日目の午後、押し入れの奥から古いアルバムが出てきた。布張りの表紙に、金色の文字で「おもいで」と書かれている。中を開くと、セピア色の写真がきれいに貼られていた。

アルバムの内容

写真は時系列で並んでいた。最初のページは、若い頃の祖父と祖母の写真。昭和30年代頃だろうか。二人とも正装して、写真館で撮ったものだ。

次のページから、家族写真が続く。母が赤ん坊の頃の写真。母の兄、つまり私の伯父が子供の頃の写真。家族四人で海に行った写真。正月の集合写真。

どれもよくある家族のアルバムだ。母は懐かしそうに写真を眺めていた。

「この頃はまだお父さんも若かったわ」

母が微笑みながらページをめくる。運動会の写真。入学式の写真。夏祭りの写真。

ページをめくっていた母の手が止まった。

「あれ」

母が一枚の写真を指さした。家族四人の集合写真だった。祖父、祖母、幼い母、幼い伯父。しかし、その後ろにもう一人、人物が立っていた。

白いワンピースを着た少女だった。家族の背後に立ち、カメラを見ている。年齢は母や伯父と同じくらいに見える。

「この子、誰?」

母は首をかしげた。親戚の子だろうか。近所の子だろうか。母にも心当たりがないようだった。

繰り返される少女

次のページも確認した。

別の集合写真。やはり家族四人。そして、その後ろにまた同じ少女が立っていた。白いワンピース。真っすぐにカメラを見ている。

次のページ。また同じ少女。

アルバムをめくり続けた。家族写真のほぼすべてに、この少女が写り込んでいた。位置は常に背後。家族の誰かの後ろに立ち、カメラをまっすぐに見つめている。

写真の中の家族は年齢を重ねていく。母が成長し、伯父が成長し、祖父母が老いていく。しかし、背後の少女だけは変わらない。同じ年齢のまま、同じ白いワンピースのまま、同じ表情のまま。

20年分の写真の中で、少女だけが時間が止まっている。

母は写真を一枚一枚確認しながら、顔が青ざめていった。

「私、この子を覚えていない。写真に写っているのに、記憶がない」

伯父への確認

母は伯父に電話をかけた。アルバムの写真をスマートフォンで撮影し、送った。

伯父の反応は予想外のものだった。

「ああ、この子か。知らない。でも、おふくろが時々話していた。昔、うちにもう一人子供がいたって」

「もう一人? お兄ちゃん、それどういう意味?」

「俺も詳しくは知らない。おふくろがボケ始めた頃に、たまに言っていたんだ。『あの子はどうした』って。俺が『あの子って誰?』と聞くと、『お前の妹だよ』と。俺たちの間に、もう一人いたと」

「そんな話、聞いたことない」

「俺もだ。だからボケた人の戯言だと思っていた。でも、この写真を見ると…」

母と伯父の間に、もう一人きょうだいがいた。戸籍にはない。親戚の誰にも知らされていない。写真にだけ残っている子供。

調査

母は戸籍を取り寄せた。祖父と祖母の間の子供は、伯父と母の二人だけだ。三人目の記録はない。

古い住民票も確認した。やはり二人だけ。

しかし、アルバムの写真には確かに少女が写っている。何十枚もの写真に、同じ少女が。しかも家族写真の背後に、家族の一員であるかのように立っている。

近所に住んでいた祖母の友人、85歳の吉田さんを訪ねた。吉田さんは祖母と60年来の付き合いだった。

アルバムの写真を見せた。吉田さんは老眼鏡を外し、写真をじっと見つめた。

「この子は…ああ、この子ね」

「ご存じなんですか」

吉田さんは写真から目を上げ、少し考えてから言った。

「あなたのおばあさんから、一度だけ聞いたことがある。戦後すぐの頃の話だと言っていた」

吉田さんの話はこうだった。

祖母が結婚する前、実家の近くに孤児院があった。戦争で親を亡くした子供たちが暮らしていた。その中に一人、祖母がよく面倒を見ていた少女がいた。名前はユキといった。

ユキは明るく活発な子供だったが、病気がちだった。祖母は自分の妹のようにユキを可愛がり、時間があれば孤児院に通ってユキと遊んだ。

祖母は結婚後、ユキを養子として引き取る話を祖父に持ちかけた。祖父も了承し、手続きを進めていた。

しかし、養子縁組が成立する前に、ユキは病気で亡くなった。

「おばあさんはひどく悲しんでね。自分がもっと早く引き取っていれば、ちゃんとした医者に見せられたのに、と。ずっと悔やんでいた」

吉田さんはそこで言葉を切り、もう一度写真を見た。

「この写真の子が、ユキちゃんだとしたら…おばあさんは、写真の中だけでもユキちゃんを家族にしたかったのかもしれないね」

合成写真

母はアルバムの写真を詳しく調べた。ルーペで拡大してみると、少女の部分だけ微妙に影の方向が違うことに気づいた。

合成だった。

昭和の時代にも写真の合成技術はあった。暗室で二枚のネガを重ねて焼く方法だ。手間はかかるが、技術があればできる。

祖母は、家族写真のすべてにユキの姿を合成していた。引き取れなかった少女を、写真の中だけでも家族に加えていた。ユキがもし生きていたら、こうやって一緒に写真に収まっていたはずだ。そう思いながら、何十年もかけて、一枚一枚。

私はアルバムを最初から見直した。ユキの表情をよく見ると、すべて同じ写真が元になっていることに気づいた。正面を向いてまっすぐカメラを見つめる少女。おそらく、孤児院時代に撮られた一枚の写真。祖母が持っていた、ユキの唯一の写真だったのだろう。

その一枚を、何十枚もの家族写真に重ねた。大きさや位置を少しずつ変えながら。家族の一員として。

アルバムの最後のページに、写真ではなく手紙が挟まれていた。祖母の字だ。達筆だが、年を取ってからの字で少し震えている。

「ユキちゃんへ。あなたを引き取れなくてごめんなさい。せめて写真の中では、うちの子供として一緒にいてね。お父さんもお兄ちゃんもお姉ちゃんも、あなたを待っていますよ」

母が泣いていた。伯父にも電話で伝えた。伯父も言葉を失っていた。

それから

ここまでならば、悲しいけれど温かい話で終わる。祖母の深い愛情と、叶わなかった養子縁組の物語。

しかし、私はアルバムを片付ける際に、あることに気づいてしまった。

アルバムの最後の数枚の写真。それは母の結婚式の写真や、私が赤ん坊の頃の写真だった。つまり、祖母が60代以降に撮られた写真だ。

それらの写真にも、ユキが合成されていた。

しかし、不自然な点があった。

母の結婚式の写真で、ユキは花嫁の母の背後に立っている。伯父の家族写真では、伯父の妻の隣に立っている。私が赤ん坊の頃の写真では、母に抱かれた私の横に立っている。

ユキの姿は相変わらず子供のままだ。白いワンピースの少女のまま。

しかし、立っている位置が変わっていた。最初の頃の写真では、ユキは家族の背後、少し離れた位置に立っていた。それが年を追うごとに、少しずつ家族に近づいている。最後の写真では、家族の輪の中に完全に入り込んでいた。

祖母が意図的にそうしたのだろう。ユキを少しずつ家族に近づけていったのだ。

しかし、私は最後の写真をルーペで見たとき、心臓が止まるかと思った。

他のすべての写真で、ユキは同じ表情をしていた。正面を見つめる無表情な顔。それは当然だ。同じ原版写真を使い回しているのだから。

しかし、最後の写真、私が赤ん坊の頃の写真。

ユキが笑っていた。

他のどの写真とも違う、穏やかな微笑みを浮かべていた。

合成の元になったのは、正面を向いて無表情の一枚の写真のはずだ。祖母がどれほど優れた合成技術を持っていたとしても、表情まで変えることはできない。

私は母にそのことを伝えなかった。伝えるべきかどうか、今も迷っている。

ユキちゃんは、最後の写真で笑っていた。家族の輪の中で、赤ん坊の私の横で、嬉しそうに笑っていた。

それが祖母の技術なのか、それとも別の何かなのか。

答えは、祖母だけが知っている。あるいは、ユキちゃん自身が。

広告スペース (article-bottom)

あわせて読みたい