夏合宿の怪|林間学校で起きた説明できない出来事
夏の合宿や林間学校には、必ずと言っていいほど怪談や肝試しがプログラムに組まれる。暗闇の中で恐怖を共有することで、仲間との絆が深まる。そういう健全な意図がある。
しかし、時として肝試しは「演出された恐怖」を超えた何かを呼び寄せてしまうことがある。
これは、中学校の同級生である渡辺が、高校の部活動の夏合宿で体験した話だ。
合宿所
渡辺が所属していたのは、バレーボール部だった。夏合宿は毎年、県北部の山間にある青少年自然の家で行われた。築40年以上の施設で、鉄筋コンクリート造り3階建て。周囲は深い森に囲まれ、最寄りのコンビニまで車で30分かかる。
合宿は3泊4日。日中は体育館で練習、夜はミーティング。最終日の前夜には、毎年恒例の肝試しが行われることになっていた。
その年の参加者は部員30名と顧問の教師2名。施設には他の利用者はいなかった。
最終夜まで合宿は順調に進んだ。練習は厳しかったが、充実していた。問題は3日目の夜に起きた。
前兆
肝試しの前に、いくつかの奇妙な出来事があった。
2日目の夜、3階の男子部屋で就寝中、窓際のベッドで寝ていた部員が、窓の外に人の顔を見たと言い出した。3階の窓の外に顔があるはずがない。悪夢だろうと笑い飛ばされた。
同じ夜、女子部屋でも異変があった。廊下を誰かが歩く足音が聞こえたという。確認に出た部員は、廊下には誰もいなかったと報告した。
3日目の昼、施設の管理人が顧問に何か耳打ちしているのを渡辺は目撃した。顧問の表情がこわばったように見えたが、その後は何事もなく練習が続いた。
後になって渡辺が顧問に聞いたところ、管理人はこう言っていたそうだ。
「今年はやめたほうがいい。森の様子がおかしい」
管理人は、この施設に30年以上勤めているベテランだった。森の様子がおかしいとは、具体的にどういうことか。
「鳥がいなくなった。虫の声も聞こえない。こうなるときは、何かが来ている」
顧問はその忠告を深刻に受け止めなかった。毎年やっている肝試しだ。今さら中止にはできない。
肝試し
3日目の夜9時。肝試しが始まった。
ルートは施設の1階から出発し、施設の裏手にある遊歩道を通って、森の中にある東屋まで往復する約600メートルのコースだ。二人一組でスタートし、東屋に置いてあるお札を取って戻ってくる。
コース上には顧問と3年生のOBが数か所に隠れて脅かし役をする手はずだった。
渡辺はペアの相手と9番目にスタートした。懐中電灯を一本だけ持って、暗い遊歩道に足を踏み入れた。
森は確かに静かだった。管理人の言うとおり、虫の声がほとんどしない。懐中電灯の光の輪の中だけが世界で、その外側は完全な闇だった。
途中で脅かし役に驚かされながら、東屋に到着した。お札を取り、戻り始めた。
帰路の中間地点あたりで、異変が起きた。
前方から、先にスタートしたペアの悲鳴が聞こえた。それ自体は珍しくない。脅かし役にやられたのだろう。しかし、悲鳴の質が違った。遊びの悲鳴ではなく、本気の絶叫だった。
渡辺たちは足を速めた。遊歩道を抜け、施設の裏手に出た。そこで立ち止まった。
施設の前の広場に、先に戻っていた部員たちが集まっていた。全員が施設の3階を見上げていた。
渡辺も見上げた。
3階の窓が一列に並んでいる。男子部屋の窓だ。すべてのカーテンは閉まっていたが、カーテンの内側に光が見えた。部屋の照明は消してあるはずだ。にもかかわらず、カーテンの向こうから淡い光が漏れている。
そして、その光の中に、人影が映っていた。
カーテン越しに、人が立っているシルエットが見えた。一つの窓に一人ずつ。6つの窓すべてに、人影が映っていた。
全部員は広場にいる。顧問も脅かし役も全員いる。3階には誰もいないはずだ。
「誰か残ったのか」と顧問が声を上げた。点呼を取った。全員いる。30名全員と顧問2名、OB3名。誰一人欠けていない。
全員の視線が3階に戻った。人影はまだそこにいた。6つの人影が、カーテン越しにこちらを見下ろしている。
そのとき、佐藤という部員がスマートフォンで写真を撮った。
「…何も写ってない」
佐藤が画面を見せた。写真には施設の建物が映っている。3階の窓も映っている。しかし、人影は写っていなかった。カーテンの向こうの光も映っていない。ただの暗い窓が並んでいるだけだった。
肉眼では確かに見えている。しかしカメラには映らない。
「中を確認する」と顧問が言った。顧問二人とOBの一人が施設に入り、3階に向かった。
広場で待つ部員たちは3階の窓を見続けていた。顧問たちが階段を上がっているであろう時間が過ぎた。
3階の廊下側の窓に、懐中電灯の光が見えた。顧問たちが到着したのだ。男子部屋のドアが開くのを示すように、部屋の照明がついた。
その瞬間、カーテン越しの人影が消えた。窓には蛍光灯の白い光だけが映っている。
しばらくして顧問が降りてきた。
「誰もいない。部屋は施錠したまま。窓もすべて閉まっている」
その夜
肝試しは中止になった。全員が1階の食堂に集められ、そこで朝まで過ごすことになった。
食堂に布団を敷き、照明をつけたまま横になった。しかし眠れる者は少なかった。
午前2時頃、渡辺は天井を見つめていた。隣の部員もまだ起きていた。
食堂の上、つまり2階から足音が聞こえ始めた。
一人分ではない。複数の足音。タタタタと軽快なリズム。まるで子供が走り回っているような音だった。
顧問が2階を確認しに行った。戻ってきて首を振った。「誰もいない」。
足音はその後も断続的に続き、午前4時頃にようやく止んだ。
夜明けとともに全員が荷物をまとめ、予定を早めて撤収した。
後日
渡辺が施設について調べたところ、ある情報に行き当たった。
その施設は、青少年自然の家として建てられる前、養護施設だったという。身寄りのない子供たちが暮らしていた。施設が閉鎖されたのは、老朽化が理由とされている。
しかし、地元の人に話を聞くと、閉鎖の真の理由は別にあったという。ある冬の夜、施設の暖房設備が故障し、子供たちが低体温症になる事故があった。幸い全員命に別状はなかったが、それをきっかけに施設の管理体制が問題視され、閉鎖に至ったという。
「でもね」と地元の人は言った。「本当は全員助かったわけじゃないという噂もあるのよ。公式の記録では全員無事とされているけれど、あの夜以降、施設にいた子供の数が合わなくなったと、当時の職員が言っていたとか」
渡辺はその話を聞いて、あの夜3階の窓に映った6つの人影のことを考えた。そして、2階を走り回っていた足音のことを。
あの人影も足音も、かつてこの施設で暮らしていた子供たちのものだったのだろうか。
渡辺のバレーボール部は翌年から合宿場所を変更した。公式な理由は「施設の老朽化」だった。
しかし、渡辺は顧問がOBに漏らした言葉を聞いている。
「あの施設の管理人が退職した。後任が見つからないらしい。管理人が最後に言ったのは、『もう夜に一人であそこにはいられない』ということだった」
渡辺がこの話をしてくれたとき、最後にこう付け加えた。
「写真に何も写っていなかったのが一番怖い。あの場にいた30人以上が同じものを見ていた。でもカメラには映らない。つまり、あれは実際にそこにあったんじゃなくて、俺たちの頭の中に直接見せられたものなんじゃないか」
「見せられた? 誰に?」
渡辺は少し考えてから言った。
「わからない。でも、見せたかったんだと思う。自分たちがここにいるということを。忘れられていないということを。あるいは、忘れてほしくないということを」
その言葉には怒りも恐怖もなく、ただ静かな哀しみがあった。