廃病院の記録|閉鎖された病棟の怖い話
この話は大学時代の友人から聞いた。友人は今でもあの夜のことを話すとき、手が震えるという。
きっかけ
友人――仮にKとしよう――は大学三年の夏、同じサークルの仲間三人と、隣県にある廃病院を訪れた。その病院は十五年前に閉鎖され、取り壊しが決まっていた。心霊スポットとしてネット上で有名になっており、肝試しを兼ねた探索だった。
メンバーはK、タカシ、ユウコ、マサキの四人。車でKが運転し、午後九時頃に現地に着いた。
病院は三階建ての鉄筋コンクリートで、周囲は雑草に覆われていた。正面玄関はベニヤ板で封鎖されていたが、裏手の非常口が開いていた。
四人は懐中電灯を持って中に入った。
一階
一階は外来の待合室と診察室だった。床にはほこりが厚く積もり、足跡が残る。天井の一部が崩落し、壁紙は湿気で剥がれていた。
待合室のベンチはそのまま残されており、壁には「診療時間のお知らせ」という古いポスターがまだ貼られていた。時が止まったような空間だった。
「意外と普通だな」
タカシが言った。四人は廊下を進み、階段に向かった。
二階
二階は病棟だった。長い廊下の両側に病室が並んでいる。ドアが開いている部屋もあれば、閉まっている部屋もある。
一つの部屋を覗いた。ベッドのフレームだけが残されており、マットレスはない。カーテンレールが天井から垂れ下がっている。窓は割れておらず、外の月明かりが薄く差し込んでいた。
ナースステーションがあった。カウンターの上に書類が散乱している。Kは興味を引かれ、書類を手に取った。古いカルテだった。
カルテ
カルテの大半は判読が困難なほど劣化していたが、一冊だけ比較的状態の良いものがあった。表紙には日付が書かれている。閉鎖される二年前のものだった。
Kがカルテを開くと、患者の情報が書かれていた。名前、年齢、病名、投薬記録。
「見てくれ」
Kは仲間を呼んだ。カルテの最後のページに、奇妙な記述があった。
「患者、夜間に廊下を徘徊。看護師が制止するも、『あの人たちが呼んでいる』と繰り返す。302号室の方向を指差す。302号室は空室」
その下にさらに書き加えられていた。赤いインクで。
「302号室を確認。空室のはずが、ベッドに人の形の圧痕あり。シーツが体温を帯びていた」
四人は無言で顔を見合わせた。
「302号室って、この階か」
廊下を見渡した。部屋番号を確認する。301、302。302号室のドアは閉まっていた。
ドアノブに手をかけた。開かない。鍵がかかっている。他のどの部屋のドアにも鍵はかかっていなかったのに。
「やめよう。三階を見に行こう」
ユウコが言った。四人は三階に向かった。
三階
三階は手術室と院長室があった。手術室には手術台がそのまま残されており、無影灯が天井からぶら下がっていた。
院長室の机の引き出しから、一冊のノートが見つかった。院長の日誌だった。最後の方のページにはこう書かれていた。
「302号室の件。何度確認しても空室のはずなのに、夜になると人の気配がある。看護師が三人、体調不良で退職。いずれも302号室の担当者。この病院には何かがいる」
最後のページ。
「閉鎖を決めた。患者の安全を確保できない。302号室の件は誰にも話さない。取り壊しまでに、あの部屋の鍵は絶対に開けてはならない」
異変
日誌を読み終えたとき、タカシが言った。
「おい、俺たち何人だ」
奇妙な質問だった。四人に決まっている。
「四人だろう」
「数えてみろ」
Kは懐中電灯で全員を照らした。自分、タカシ、ユウコ、マサキ。四人。
「四人だが」
「さっき階段を上がるとき、俺は後ろから懐中電灯で照らしていた。階段を上がる足が五つ見えた」
全員が黙った。
「見間違いだろう」
マサキが言ったが、声が震えていた。
そのとき、階下から音が聞こえた。ドアが開く音。ギイ、という長い軋み。
二階の方角だった。
脱出
四人は走った。三階から二階に降りる階段を駆け下りた。
二階の廊下に出た瞬間、Kは足を止めた。
302号室のドアが開いていた。
さっき確かに鍵がかかっていたドアが、今は大きく開いている。部屋の中は暗く、懐中電灯の光も届かないほど濃い闇が満ちていた。
「走れ」
誰かが叫んだ。四人は一階に向かって階段を駆け下りた。非常口から外に飛び出し、車に乗り込んだ。
Kがエンジンをかけ、アクセルを踏んだ。車が動き出す。バックミラーに廃病院が映った。
三階の窓に、人影が立っていた。こちらを見下ろしている。
車は闇の中を走り去った。
後日
翌月、その廃病院は予定通り取り壊された。Kはニュースでそれを知った。
取り壊しの際、302号室の床下から古い井戸が見つかったという記事を、地方紙の片隅で読んだ。井戸の中からは何も出てこなかったと書かれていた。
しかし、工事関係者の間では別の話が囁かれていた。井戸の中から見つかったのは、古い患者服と、五人分のスリッパだったと。
この病院の記録上、行方不明になった患者はいないことになっている。