日記帳|書いた覚えのないページの意味がわかると怖い話
部屋を片付けていたら、中学時代の日記帳が出てきた。懐かしくなってページをめくった。
日記の内容
中学二年の四月から始まっている。授業のこと、部活のこと、友達との会話。他愛もない日常が綴られている。字は確かに自分のものだ。
五月のページ。
「今日は数学のテストがあった。自信がない。放課後、ケンと公園で遊んだ」
覚えている。ケンは親友だった。
六月のページ。
「今日は雨。傘を忘れてケンに入れてもらった。ケンの傘は青い」
これも覚えている。
七月三日のページで、手が止まった。
「今日、屋上で空を見た。誰もいなかった。風が気持ちよかった」
屋上。中学校の屋上は立ち入り禁止だったはずだ。行った覚えがない。
七月四日。
「今日も屋上に行った。柵の向こうに街が見えた。とても静かだった」
七月五日。
「屋上の柵に座った。足がぶらぶらした。下を見たら、すごく高かった」
読んでいて、背筋が冷たくなった。
七月六日。
「ケンが転校した。突然だった。もう会えないのかもしれない。悲しい」
これは覚えている。ケンが転校したのは本当だ。
七月七日。
「今日も屋上に行った。ケンがいなくなって、教室にいるのがつらい。屋上のほうが楽だ」
七月八日以降、数日間のページが破り取られていた。
破られたページの後
七月十五日から日記が再開していた。
「今日から日記を書き直す。先生が、書くことは大事だと言っていた。元気を出そう」
それ以降、日記は普通の内容に戻っていた。屋上の話は一切出てこない。
日記帳を閉じて、しばらく考えた。
七月八日から十四日までのページを破ったのは自分のはずだ。何が書いてあったのか、今となっては確かめようがない。
ただ一つ気になることがある。
あの日記は自分の字で書かれている。しかし、屋上に行った記憶が一切ない。覚えていないのではなく、行っていない。行っていないのに、日記には行ったと書かれている。
もう一つの可能性に思い当たって、日記帳を引き出しの奥にしまった。
もし自分が本当に屋上に行っていて、それを「忘れている」のだとしたら。七月八日から十四日に何が書かれていたのか。なぜそのページだけを破り捨てたのか。
思い出さないほうがいいこともある。たぶん、あの頃の自分もそう判断したのだ。