孤島の伝承|漁師が語った禁忌の島の怖い話
これは瀬戸内海の漁師町で聞いた話だ。町の居酒屋で隣り合わせになった老漁師が、酒の勢いで語ってくれた。
禁忌の島
瀬戸内海には大小さまざまな島が浮かんでいる。その中に、海図に名前はあるが誰も近づかない小さな無人島がある。老漁師はその島の名を教えてくれなかった。
「あの島には夜に上がってはならん。それがこの辺りの漁師の決まりだ。昼間なら問題ない。釣りをしたり、休憩に寄ったりすることもある。しかし日が暮れる前には必ず離れる。どんなことがあっても、夜にあの島にいてはいけない」
「何があるんですか」
老漁師は杯の酒を一息で飲み干した。
「わしが若い頃、一度だけあの島で夜を過ごした男がいる。わしの幼馴染みのシゲルだ」
シゲルの話
シゲルは腕のいい漁師だったが、怖いもの知らずでもあった。禁忌を迷信だと笑い飛ばし、ある夏の夜、賭けのつもりで一人であの島に泊まると宣言した。
「やめておけ」と周囲は止めたが、シゲルは聞かなかった。テントと食料を持って島に渡り、浜辺にキャンプを張った。
翌朝、仲間の漁船が迎えに行った。老漁師も同行していた。
島の浜辺にテントはあった。しかしシゲルの姿がない。島中を探した。一周しても見つからない。
島の反対側の岩場で、シゲルを見つけた。岩の上に座り込んで、海を見つめていた。声をかけても反応がない。肩を揺すると、ようやくこちらを向いた。
シゲルの髪が白くなっていた。昨日まで黒々としていた髪が、一晩で真っ白になっていた。
シゲルが語ったこと
船に乗せて町に戻り、医者に診せた。体に外傷はない。しかし精神的なショック状態にあると診断された。
三日後、シゲルはようやく口を開いた。しかし語ったのは断片的な言葉だけだった。
「夜中に足音がした。砂浜を歩く足音が。たくさんの足音だった。テントの外を、何十人もの足が通り過ぎていった」
「外を見たのか」と老漁師が聞いた。
「見た。テントの隙間から。月明かりで浜辺が見えた。人が歩いていた。白い着物を着た人たちが、列を作って歩いていた。海のほうから来て、島の中央の森に入っていった。子どもも、年寄りもいた。全員が無表情で、まっすぐ前を向いて歩いていた」
「何者だ」
「わからん。ただ、列の最後の一人がわしのテントの前で立ち止まった。こちらを向いた。月明かりでその顔が見えた」
シゲルは黙った。
「誰の顔だった」
「わしの親父の顔だった。五年前に海で死んだ親父の顔だ。親父はわしを見て、首を横に振った。ここにいるなと言いたげに。そして列に戻って、森の中に消えた」
シゲルはそれきり、海に出なくなった。漁師を辞め、内陸の町に引っ越した。数年後に亡くなったと聞いた。
老漁師の推測
「あの島には昔、集落があった」と老漁師は続けた。
「百年以上前の話だ。疫病が流行って、島の住民が全滅した。遺体は島に埋められた。それ以来、夜になると死者が歩き回ると言われている。海で死んだ者たちも、あの島に集まるのだと」
「シゲルのお父さんも」
「ああ。海で亡くなった者は、あの島に戻る。だから漁師はあの島に近づかない。自分の親や仲間の顔を見たくないからだ」
老漁師は最後にこう言った。
「わしもいずれあの島に行くのだろう。海の男は最後にあの島に渡る。それがこの海の決まりだ」
老漁師はそれ以上何も語らず、勘定を済ませて店を出ていった。
私は島の名前を聞きそびれた。瀬戸内海の海図を何度も見たが、それらしい島は見つけられなかった。
あるいは、部外者の目には見えない島なのかもしれない。