深夜バスの乗客|終着駅のない路線の怖い話
終電を逃した夜の話だ。あの夜乗ったバスが実在したのか、今も確信が持てない。
終電の後
金曜の夜、飲み会が長引いて終電を逃した。タクシー乗り場には長い列ができている。酔い覚ましも兼ねて、一つ先のバス停まで歩くことにした。
大通りに出ると、バス停があった。ここから深夜バスが出ているはずだ。時刻表を確認しようとしたが、バス停の表示板が古く、文字がかすれて読めない。
五分ほど待つと、バスが来た。行き先表示には見慣れない地名が書かれていた。しかし酔っていた私は、自宅方面に向かうバスだろうと思い込んで乗り込んだ。
車内には五人ほどの乗客がいた。全員がまばらに座っており、誰一人として顔を上げない。うつむいているか、窓の外を見ているかだった。
私は中ほどの席に座った。バスが走り出した。
見知らぬ路線
十分ほど走ったところで、窓の外の景色に違和感を覚えた。知らない道を走っている。大通りではなく、暗い住宅街の中を抜けていく。街灯が少なく、民家の明かりもほとんどない。
次のバス停で、乗客が一人降りた。中年の男性だった。降りる際、私の横を通り過ぎるとき、小さな声でこう言った。
「次で降りたほうがいい」
意味がわからなかった。男性はバスを降り、暗い道に消えた。
バスはまた走り出した。次のバス停名のアナウンスが流れたが、聞いたことのない地名だった。
もう一人、乗客が降りた。老婆だった。降りるとき、やはり私のそばで何かを呟いた。聞き取れなかったが、「早く」という言葉だけが耳に残った。
減っていく乗客
バス停に止まるたびに乗客が一人ずつ降りていった。誰も乗ってこない。車内の人数は減り続けた。
私は降りようと思った。次のバス停で降りよう。そう決めた。
アナウンスが流れた。次のバス停の名前は聞き取れなかった。ノイズのような音に遮られた。
バスが止まった。ドアが開いた。私は立ち上がって出口に向かった。
しかし、出口の向こうには道がなかった。バスの外は真っ暗な空間で、地面も見えない。ただの闇だった。
「降りないほうがいいですよ」
運転手の声が聞こえた。初めて聞く声だった。振り返ると、運転席にいる運転手の顔はバックミラーに映っていたが、帽子の影で目元が見えなかった。
「あと三つで終点です。終点まで乗っていてください」
ドアが閉まった。バスが走り出した。
車内に残っているのは私を含めて二人だけだった。もう一人は、一番後ろの席に座っている人物だ。顔は見えない。
最後の乗客
次のバス停。もう一人の乗客が立ち上がった。通路を歩いてくる。
その人物が私の横を通り過ぎるとき、初めて顔が見えた。
自分の顔だった。
私と同じ顔、同じ服を着た人間が、無表情で通路を歩き、出口から降りていった。ドアの外の闇の中に、消えた。
車内には私一人になった。
「次は終点です」
運転手の声が流れた。
終点
バスが止まった。窓の外には見慣れた景色があった。自宅の最寄りのバス停だった。いつもの大通り。コンビニの明かりが見えた。
ドアが開いた。私は降りた。足元にアスファルトの感触がある。現実の道だった。
振り返ると、バスはすでに走り去っていた。テールランプが遠ざかり、角を曲がって消えた。
時計を見た。午前零時三十分。バスに乗ったのは午前零時頃だ。三十分しか経っていない。しかし、バスの中では一時間以上過ごした感覚があった。
翌日、あのバス停を確認した。時刻表には、午前零時以降のバスの記載はなかった。深夜バスの路線自体が存在しなかった。
あのバスは何だったのか。そして、私と同じ顔をしてバスを降りたあの人物は何だったのか。
答えは出ない。ただ、あれ以来私はバスの中で眠れなくなった。降りるべきバス停を過ぎてしまうことが、以前より怖くなった。