深夜のタクシー客|消えた乗客の怖い話
この話は、都内でタクシー運転手をしていた叔父から聞いたものだ。叔父は30年以上のベテランドライバーだったが、この一件だけは最後まで説明がつかないと言っていた。
雨の夜の客
その夜は梅雨の真っ只中だった。午前2時を過ぎ、そろそろ車庫に戻ろうかと考えていたとき、国道沿いの暗い場所に人影が見えた。
白いワンピースの女性が、傘も差さずに���っていた。叔父が車を寄せると、女性は後部座席のドアを開けて静かに乗り込んだ。
「どちらまで」
叔父が尋ねると、女性は小さな声で住所を告げた。叔父の記憶では、それは練馬区の住宅街の番地だった。
バックミラーで確認すると、女性は俯いたまま座っている。髪が濡れて顔に張り付いていた。叔父は黙ってメーターを倒し、車を走らせた。
会話のない車内
深夜のタクシーで客が無言なのは珍しいことではない。叔父はいつも通り運転に集中していた。
雨はフロントガラス���筋を描き、ワイパーが規則正しく左右に動いている��ラジオの天気予報が、明日も雨だと伝えていた。
10分ほど走ったところで、叔父はふと違和感を覚えた。
エアコンは効いているのに、車内が妙に冷える。それも、後部座席のあたりだけが。叔父は温度を上げようとしたが、すでに設定温度は十分に高かった。
バックミラーに目をやった。女性は同じ姿勢で俯いている。ただ、乗り込んだときと比べて、何かが違う気がした。
叔父はその違和感の正体がわからないまま、車を走らせ続けた。
到着
目的地の住宅街に入った。細い路地を進み、女性が告げた番地の前に車を止めた。古い一戸建てで、門灯も消えている。
「着きました」
叔父が声をかけた。返事がない。
「お客さん、着きましたよ」
もう一度声をかけて、バックミラーを見た。
後部座席には誰もいなかった。
叔父は体が固まった。ドアを開けた音は聞いていない。メーターはまだ動いている。叔父は恐る恐る後部座席を振り返った。
座席には誰も座っていない。ただ、シートが濡れていた。女性が座っていた���分だけが、雨水のようなもので広く湿っている。
そして、シートの上に小さなものが一つ置かれていた。
古い赤い髪留めだった。
翌日
叔父は翌日、好奇心を抑えきれずにその住所を昼間に訪ねた。古い一戸建ては空き家だった。���には「売家」の看板がかかっている。
隣��家の年配の女性に声をかけて聞いてみた。
「あの家ですか。半年ほど前に引っ越されましたよ。お嬢さんが事故で亡くなって、ご両親が住んでいられな��なったんです」
叔父は赤い髪留めのことを尋ねようとしたが、やめた。
「お嬢さんは二十歳くらいの、おとなしそうな方でしたよ。いつも赤い髪留めをしていてね。白いワンピースがよく似合う子でした」
叔父はお礼を言って、その場を離れた。
その後
赤い髪留めは、叔父がしばらく手元に置いていたが、ある日その家の門の前にそっと置いてきたという。
「売家」の看板はやがて外され、別の家族が引っ越してきたと聞いた。
叔父は定年までタクシーの運転手を続けたが、あの夜のような体験は二度となかったという。ただ、雨の夜に一人で立っている客を見ると、乗せる前に必ずバックミラーで後部座席を確認する癖がついたと、苦笑い���ながら話していた。
確認して何を見るのが怖いのか。それは、後部座席にすでに誰かが座っていることだと、叔父は言った��